パパは脱サラして理学療法士になる

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ビビは35歳で理学療法士(PT)になりました。

子育て中のサラリーマンが、理学療法士になるまでを紹介します。

このブログを読むと

一般企業の会社員から理学療法士になるまでが分かります。
理学療法士を目指す人は、理学療法士になるまでの苦労と過程が分かります。
家庭のある人が、学校に通うことになるとどうなるか、が分かります。

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営業マン入社しました

私は、新卒で建築と不動産企業で営業マンとして就職しました。
建築の請負契約や不動産売買の仲介、分譲住宅の販売、事業用ビルの請負などが主な仕事内容でした。利益金額の少ない、賃貸住宅のあっせんや住宅リフォームの営業などは、別部署で行っており、顧客はそちらに引継ぎしていました。給与とボーナスはほとんど固定で、一部歩合で年間休日100日前後普通の会社の印象でした。

不動産の勉強をしながら、社会人として活躍することを夢見て、仕事終わりに仲間と飲みに行き、行きつけのBarでドラマのようなアフターを楽しんで、いい年になったら、ステキな奥さんと出会って家庭を築き幸せになる事を描いていました。

  • 仕事は、二つ返事で「やります」
  • 朝は人より早く出社して掃除
  • 早く仕事を覚えて一人前になる

毎日、新しいことを覚えて、少しずつ早く書類業務が出来るようになってきて、「重説(重要事項説明書)できました。物調(物件調査)いってきます。」専門用語で会話もできるようになってきました。

1年目の仕事は難しかったけど、今は勉強と思ってやるしかなかった。

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あれ、なんか変わってきた

1年目の社員会議の時から、会社の業績は少し下がってきていると知りました
これまでは賃貸住宅の建築などで、売上や利益がドーンと上がって、会社の成長をしていたようですが、バブル終わり、需要も減少してきているようでした。

そして、2年目の若い営業は、ノルマも少ない、会社の貢献度も少ない。
給料はこれまで通りですが、もっと働いてください、という感じで、年間休日が80日に減りました。
年末年始と夏休みがある業界でしたので、週1回の休み+2か月に1回の連休でした。

ビビ
ビビ

えー、そんなに変わるの。そうか、成果を上げていないから仕方ない

新卒で入社した会社でしたので、そういうものかと思い、逆に「ノルマ達成して会社の貢献するぞ」、と意気込んでいました。
しかし、現実は甘くない。2年目のノルマでさえキツい

毎日出勤して仕事の毎日。
休みを返上し続け、最悪は2ヶ月に1回の休日になったときがMAXにしんどかったです。

売買営業から賃貸営業、そして総務へ

なかなか結果が出せず、ノルマ達成もできず、売買部門から賃貸部門への異動。

この時は、ショックでした。
会社での扱いでは、単価の小さい賃貸部門に落とされた印象です。

しかし、尊敬する常務からは、
「ビビ君、君はそこで成長して、賃貸部門のトップになりなさい。そして、また売買と建築の営業部署に戻ってきなさい。」
この尊敬する常務は、住宅が少なかった田舎地域を、大人気地域住宅街に発展させた、超できる営業常務でした。

ビビ
ビビ

やるぞー。絶対成果を上げて、部署責任者になって売買部門に戻ってやる

こんな感じで、賃貸部門でコツコツ頑張っていました。

そんなある日、会社の方針で、営業目線が入ったホームページを作成する。

売買部門、賃貸部門、リフォーム部門から若いのを3人を短期間異動させて、ウェブ支店を作らせる。

その時の賃貸部門の責任者から、「ビビが行ってきて」と言われ、自信がないまま総務部へ移動しました。
総務部には、前の部署で一緒だった仲良し営業マンがあと2人来ていて、一緒に頑張ろうとなりました。

同じ会社ですが、初めて営業以外の仕事をして、パソコンばっかり触ってHTMLなども勉強しながら、新しい事をする楽しさを知りました。

しかし、ここでノルマのない仕事を知ってしまった。

パソコン触って定時になったら、お疲れさまでした~って帰宅
給料は営業の時より安定していて、楽ちんでした。

また、あの世界へ

長く続かない楽な仕事。ホームページも整い社長にも、やりたかったホームページに近づいた。
よし、短期移動社員の3人は元の部署に戻って。
と言われ、賃貸部へ戻りました。

次の4月には、このホームページ作成に携わった功績と賃貸部の成績で、人事異動で、不動産売買部門への異動になりました。

しかし、総務部を知ってしまった私は以前の私ではなかった。

あまり、営業に身が入らず、適当な報告などをして毎日を何事もなく過ごす日々でした。

そんな中でも、ちょっと頑張ったときに、ドカーンとでかい仕事も受注出来て、ボーナス倍、みんなから称賛され、コツコツ営業するよりも大きな仕事の方が楽だしボーナスも増える。

甘い考えなっていました。成績がいいので時々サボって、まあまあサボって、よくサボりました。

もう無理

ノルマは1年ごとにリセットされるので、翌年は0からスタート
しかし、私には以前のような真面目でコツコツ勤勉な仕事はできず、サボり癖があるぐうたら営業マンでした。
さらに社会全体の景気は悪くなっており、社内規定が変更されボーナスは、ノルマの70%達成で前年と同額、70%未満は前年の半分支給、100%達成で120%の支給などでした。

一度ノルマの70%未満を記録してしまうと、元のボーナスに戻るためには、その後100%達成を数年間続けなければなりませんでした。

ビビ
ビビ

もう無理だわ。仕事に行く力がない。このまま、この会社にいても足を引っ張る営業マンになるだけでツライ。働いても年収は減る。

「仕事辞めよう。別の会社に行って一からやり直そう。」
そう思って奥さんに転職の相談したところ、
「同じ業界なら、また同じことの繰り返しよ。」と言われました。

この時はまだ、奥さんが転職することに賛成か反対かわかりませんでした。

別の仕事って、不動産しか知らないよ俺。
学歴もないし、パソコンスキルもない、宅建と簿記2級は持ってるけど。

私は、幼少期から両親に、「会社は辞めてはいけない。入った会社で一生を働いて、会社のために尽くすものだ」と教育されてきました。
会社を辞めることは、罪悪感と挫折感が大きく、社会人のレールからはみ出し、落ちぶれていくことになるのかと、不安がありました。

奥さんも似たような家庭で育ち、同じような価値観を持っていましたので、将来がどうなっていくのか悩む日々でした。

年齢も30歳を過ぎていたので、難易度が高い資格ほど安定した収入が得られると思い、国家資格を取得して仕事に就くことを考えました。
考えた結果、なりたい仕事を2つ見つけました。

司法書士
理学療法士

この2つでした。
司法書士は登記に関わる仕事で、不動産屋さんからは先生と呼ばれる存在。超難関国家試験の一つです。受験資格は特別ではないので一発合格もある。

理学療法士は、国家試験合格率90%リハビリに関わる仕事。しかし養成校を普通は4年通って資格を取ることになる。

方針決定

奥さんに転職の事を話し、この2つの仕事を考えていること、仕事内容と予想年収などの話しをしました。

奥さんは「よかった。今の仕事は続けない方がいいと思っていたの」と救いの言葉をかけてくれました。私が営業の仕事をして、暗い表情だったのをいつも見ていたからでしょう。

私は、転職の相談をしたときは軽い感じで話していたので、実際に報告したときには、奥さんの不安をぶつけられ、生活のために続けることになるかもしれないと思っていました。

奥さんからは、「リハビリの仕事っていいよ」と勧められました。理学療法士の仕事を全く見たことがなかったのですが、奥さんは理学療法士のリハビリを見たことがあったので勧めてくれました。

最初は完全に安定した仕事に就けると思って、理学療法士になる事を決意をしました。

奥さんと2歳の娘に「パパは理学療法士になる」と報告しました。

本当にこの時の家族の存在は大きかったですね。気持ちを切り替えて、次の目標に向かって生きていくことを決心できました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
ビビが、理学療法士になるまでの経緯です。

理学療法士になる方の多くは、過去の自身の怪我や病気のリハビリの体験から理学療法士を目指す方が多いと思います。私の場合は、生活費を稼ぐために職業選択したといったところでしょう。

次回


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